2011-04-08

Amongst White Clouds



Amongst White Clouds

ある青年が悟りを求めて、中国、陝西省の西安にある奥深い山に隠遁する仙人たちを訪ねたドキュメンタリーフィルム。白い雲に囲まれた山々は、そこにたどり着く道も険しい、まさに修行の場所。煩悩に満ちた俗世間を離れ、何十年もそこに暮らしている僧侶たちは、スピリチュアルへの道を追求しながらも、ただ一瞬一瞬、今あるいのちに感謝し、丁寧に生きているように見えました。

ある一人の僧侶の語る言葉は禅そのもので、とても印象的でした。

インターネットでも見れるので、興味のある方は見てみてください。
こちら
(Google video)


-----------------

"万物すべては、このひと息の瞬間にある
私たちは空虚をつかんでいるのだ
そのなかで言うべきことは何もない"

なぜ人びとはこの世の中ででいつも忙しがっているのか?
ただこの"ひと息"のために。
人びとはいつも言う ー "忙しい忙しい、私が私が…"と。
この生涯は、"私”のために忙しい。
この息が途絶えるときには
あらゆる全てを手放さなければならない。
それなら何故最初からそれを手放さないでいられないのか?

ひとつだけ真に実在するものを見せてみなさい。
真に実在するものなんて最初からないのだ。
毎日毎日、朝から晩まで、あらゆるものをかき集め
大きな物から小さな物、価値ある物まで
全てをかき集めて膝の内へしまう
あたかも黄金の鍵を手に入れたかのように。
いわばこの生涯は無のために忙しい
まるで盗人のようなふるまいだ。
なぜこのエネルギーを解放の道へ注がないのか?
この心を、悟りへの道へと。

この世の全ての者は、この考えにコントロールされている。
この考えを捨てれば、解放され、自由になり、満足を得るだろう。

仏典にはこう書いてある
"話すための言葉はたくさんあっても、その中に真のものはひとつもない"
ただ無益な議論を繰り返すー天から花びらが次々と舞い落ちるように。
それらは全て無価値なことだ

それゆえに"言うべきことは何もない"
もしあなたがつかんでいるものが真のものだと思うなら
その中にはひとつとして良いものはないだろう。
誰もそれを手に入れることはできないのだ。

質問:自然の近くにいることは、あなたの修行に影響を与えますか?
自然は妄想にすぎない。
自然とは何だ?
妄想は自然であり、自然は妄想だ。

質問:私たちの着ている服や、食べている物は自然から作られているのではありませんか?
もしそれが自然と言うなら
その岩に生涯座っていなさい。そして動かずにいてみなさい。
そうしているだけで、空腹は満たされ
服がみずから這ってあなたの体を覆うだろうか?
これが自然だと言うなら
これは自然なことだろうか?

No comments:

Post a Comment

Google Analytics Alternative